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第10回展示「山陰地方の筒描藍染風呂敷展」

第10回展示「山陰地方の筒描藍染風呂敷展」

平成15年2月1日(土)〜4月25日(金)

出雲・松江・米子を中心とする山陰地方では、明治以前より藍染をする紺屋が各地にみられましたが、明治40年(1907)頃から次第に化学染料(建染染料)に押され、藍の割建法(藍と化学染料を併用する方法)も行われて、大正を経て昭和に入ると著しく減少していきました。

更に第二次世界大戦中には企業整備を受け、戦後はいっそう需要を失って逐次転廃業し、ことに筒描藍染を行うオモテ紺屋(糸を染めるカセ紺屋に対する呼称)は明治40年頃の出雲地方において、紺屋59軒の内13軒、大正7年(1918)頃、紺屋28軒の内11軒、昭和8年(1933年)頃、紺屋16軒の内8軒、昭和25年(1950年)頃にはオモテ紺屋のみ4軒となってしまいました。

昭和43年(1968年)にはその昔オモテ紺屋筆頭の家柄である浅尾常市氏の井筒屋と、長田政雄氏の長田紺屋の2軒となり、またそれに松江市秋鹿町の福原権市氏を加えた3人が筒描藍染技術保持者として島根県指定無形文化財に認定されていましたが、現在は長田紺屋1軒を残すのみとなりました。 

オモテ紺屋が染めた筒描藍染の仕事は大正時代までは嫁入支度として、2幅・3幅・4幅の3枚揃の風呂敷・夜着・布団地・油単類(箪笥・長持・吊台・挟箱などの掛布)・提灯袋・傘袋・鏡掛、またこれを担ぐ人足の印伴天などもみな定紋を入れ藍染で染めあげていました。納期が天候に左右されるためもあって、嫁入の1〜2年前から準備を整えていたのです。今回展示された風呂敷は、大正時代の出雲嫁拵えの祝風呂敷を再現し、出雲地方の伝統風習を後世に残すべく、昭和43年(1968年)長田政雄氏を中心に浅尾常市氏、福原権市氏の3人に依頼し調達されたものです。

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