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風呂敷の歴史

室町時代 風呂文化と風呂敷

室町時代頃より、包みものと風呂の関係をうかがわせる記述がみえはじめるようになりました。当時の辞書である節用集にも包み布は平包(ヒラヅツミ・ヒラツツミ)とあります。鎌倉時代、寺院の施浴が盛んになり、『吾妻鑑(あずまかがみ)』(1273〜1304年成立)には源頼朝(1147〜99年)が鎌倉山内の浴堂で1日100人、のべ1万人の百日施浴を行い、幕府が尼将軍政子追善に長期施浴を行った記述があります。この風習は室町時代にも引継がれ「功徳風呂」、「非人垢摺供養」などと呼ばれました。

包結之圖

将軍・足利義満が室町の館に大湯殿(おおゆどの)を建てた折、もてなしを行うに際し近習の大名を一緒に風呂に入れたところ、大名達は脱いだ衣服を家紋入りの絹布に包み、他の人の衣服とまぎれないようにし、風呂から揚がってからはこの絹布の上で身繕いをした、という記録が残っています。また『実隆公記(さねたかこうき)』では将軍足利義政室、日野富子(1440〜96年)が毎年末、北大路の屋敷で両親追福の風呂を催し、湯殿をもたぬ下級公家や縁者を朝から招いて入浴させ、お斎として食事を供したと記述しています。ここでいう風呂とは社交儀礼の場であり一種の遊楽をともなった宴を催すことを「風呂」といい、入浴にはいろいろな趣向がこらされ、浴後には茶の湯や酒宴が催されました。

当時の風呂は蒸気浴で、蒸風呂にあっては蒸気を拡散し室内の温度を平均化するため、床には、むしろ、すの子、布などを敷きました。風呂で敷く布は、たしかに風呂の敷きもので「風呂敷」と呼ぶことが的を得た名称であるといえるでしょう。蒸し風呂の敷きものとしては、吸湿性も良く丈夫で乾きも早い麻布が用いられたようです。室町時代には武家故実や伊勢流・小笠原流による折形の礼法が整って、贈答や礼式に於いて奉書や鳥の子紙、水引などによる包み結びの式法も広まりました。いろいろな品物包みや包み方の種類も増え、熨斗包み・草花包みなど「包み」を付加した言葉も多く使われていました。「包」を冠した名称も多く、包飯(強飯を握り固め卵形にしたもの)、包覆(物を包み覆うのに用いるもの)、包金(包んだ金銭)、包紙(物を包むのに使う紙)、包状(紙で包んだ書状)、包袋(物を入れる袋)、包文(薄様などで上を包んだ手紙)、包物(布施や贈答とすべき金銭・布帛を包んだもの)、包焼(魚・肉を物の中に包んで焼いたもの)など「包」のつく呼称が増すにしたがって、主として衣類を包んだ「平包」の明確な定義付けがしだいにぼやけてきました。より明確に平包の形態や素材感を表現する言葉として「風呂の敷きもののような包みもの」即ち「風呂敷包み」の呼称を持つことになったと推測されるのです。

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