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風呂敷の歴史

昭和時代 消費者運動と風呂敷

写真 竹村昭彦

昭和30年代、高度経済成長の時代に入り家計の収入は増し、昭和30年のエンゲル係数は47%、昭和40年は38.1%に低下しました。企業の成長にともない、関係先に宣伝もかねて配布する風呂敷の需要が増大した時期でもあります。多くの合繊メーカーは新素材を発表し、メーカー商標により品質を保証された合繊風呂敷が市場を席巻したのです。然しながら多くの商標群は消費者間に誤認を生み、政府は消費者保護の立場から「家庭用品品質表示法」で組成表示を強制し、繊維名の統一、混用率や、表示者名の表記を定めて適正表示を義務づけました。この時期はデパートのサービス袋もいまだ普及していず、まだ人力運搬をする風呂敷利用者は多く、実利的贈答品として風呂敷が使用された時代でした。

経済的繁栄は人々の生活に「消費は美徳」という価値意識を植えつけ、消費行動が変化し、この状況は「消費革命」と呼ばれました。風呂敷はかつてない生産枚数を計上しました。昭和40年代の消費者運動には生活者の立場から企業を批判する動きがあらわれて、昭和43年には消費者保護基本法が施行されました。消費経済を享受した結果、公害問題は多発し、蔓延的ともいえるゴミ公害が起こり、昭和46年、美濃部都知事はゴミ処理の危機を議会で訴えるに至りました。昭和40年代中頃は、紙製手提袋が高速生産され、デパート・スーパーストアーの大量需要に対応し、またさまざまな布製ショッピングバックが全盛を極めました。

風呂敷の将来に対する不安感が業界に湧出するなかで、昭和45年万国博覧会で記念風呂敷の製造販売する許諾を協会に得る必要もあって、東京・名古屋・京都・大阪の四大織物卸商業組合に所属する風呂敷関係者が集い、日本風呂敷連合会を結成しました。これを契機として、折からの消費者団体のゴミ追放運動に業界参加のかたちを取り、昭和47年11月には東京ふろしき振興会が「風呂敷でゴミ公害をなくそう」と一般に呼びかけ、日比谷公園から数寄屋橋迄パレードを行いました。この翌年には大阪で同様のパレードを御堂筋で展開しました。これは第一次オイルショックにも迎合して、省資源節約経済思想の提唱を行うことでもありました。

昭和60年に入ると街角での風呂敷運搬は見られなくなりましたが、それでも風呂敷総生産数は5000万枚、市場は500億円と推定されました。この年の婚礼数は77万組で、引出物を包むナイロンぼかし浸染の風呂敷生産は約2300万枚といわれています。この頃から風呂敷業界では販売促進の方法として、またゴミ公害対策の訴求も兼ねて、得意先での催事やきもの教室、その他文化教室において風呂敷の包み方を一般生活者に指導提案することが盛んになり、テレビ・新聞・家庭雑誌も和の文化を表現する一素材として風呂敷を取り上げる回数が増しました。風呂敷は、自然環境保護・地球保全を希求する思想背景と融合しながら静かなブームを巻き起こしました。

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